湧川哲行

思い出を残したい

私と音楽  


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f:id:wakugawatetsuyuki:20180405001108j:plain私は、親の影響もあり15歳位からレコードの収集を始めました。当時ブームだったエレキギターも手にする事が出来ました。恵まれた環境だったと思います。それから横浜に住む事になり親の目も届かないので、さらにレコードに関心が高まりかなりの購入枚数でした。それから銀座のセブンスタービルの地下にあったハンターに良く足を運びました。当時、内藤洋子の歌ったEPレコード白馬のルンバが、35.000円でした。あまりの高さに驚きは隠せませんでした。それから赤羽に引っ越しさらにエスカレートする事になります。父が私の生まれる前、ラッパの蓄音機を所有している話が、耳から離れませんでした。赤羽である人に出会いました。
そこから大きく私の人生は、変わって行きます。ある日、私の部屋で私のレコードが欲しいと言うので、物々交換を致しました。その時は、まだどんな方なのか知りもしませんでした。
それから彼の家に招待される運びとなりました。まず目に入ったのが蓄音機でした。当時は、どれくらいの価値のある蓄音機かは、知りませんでした。まずはお願いをして蓄音機の音を聴かせていただきました。あまりの音響に言葉が出ませんでした。世の中にこれほど素晴らしい音で聴ける装置があるとは思ってもいませんでした。デジタルで作られた音とは、大違いで生々しくそこで歌って演奏しているようでした。それでも私は、オーディオを諦める事が出来ずマランツやオルトフォン、ローサーやいろんな物にお金をつぎ込みました。どうしても蓄音機の音が忘れられず彼にお願いして蓄音機を売ってくれる店を教えていただきました。それから蓄音機探しに時間を癒して来ました。今の時代と違いインターネットや携帯電話のない時代です。歩いて探す以外方法はありませんでした。それから先は、親不孝で自分の事ばかり考え時を過ごしました。それから最初に手に入れたコロンビアの蓄音機、ビクター4-3、1-90、ブランズウィック、パテ、エジソンダイヤモンドディスク、エジソンのシリンダーの機械も数台購入致しクレデンザー、HMVの102、163、194など手にしました。それは装置であってレコードにかけた金額は、それ以上かも知れません。歌謡曲に比べクラシックレコードは、異常な価格でした。現代と違い当時は声楽も人気が高くゲルハルトの魔王が6万やカルソーやメルバも私にとっては高額でした。私を夢中にさせた方とは、蓄音機業界では誰もが知るマック杉崎だったんです。私が40年以上前にマック杉崎の部屋で初めて見た蓄音機は、クレデンザー、ビクター10-50、HMV202、トレードマークやまだ他に数台の蓄音機がありました。それからもう40年以上も家族のようなお付き合いをさせていただいております。沢山の知識を学ばせていただきました。今なお蓄音機のすべてを知り尽くした人はいないと確信できます。私がこうして今日まで続けて来れたのもマック杉崎のお陰と心より感謝いたしております。
私も年をとり子供のオモチャのように独り占めしていましたが、これからは数多くの方にこの蓄音機の音の素晴らしさを伝えて行こうと思っております。 

湧川哲行