湧川哲行

思い出を残したい

ジョルジェ•エネスコ初録音

エネスコのレコード録音は1924年アメリカ・コロンビアの機械式録音に始まる。下記のレコードは、エネスコの初録音盤です。

クライスラー プロヴァンスの朝の歌、L.クープランの様式によるダンブロジオセレナード作品4  

ヴァイオリン、ジョルジェエネスコ

ピアノ、エドワード•C•ハリス

そして1925年にアメリカで出会った少年の師となる。その少年の名はメニューインです。

1932年、神童メニューインが16歳の時の初録音にして、恩師エネスコと共演した「2つのヴァイオリンのための協奏曲」実に素晴らしい演奏です。

フリッツ・クライスラー エフレム・ジンバリスト、ヨーゼフ・シゲティ カール・フレッシュ 3組のS Pコンサートを店でやりました。興味のある方是非、お越し下さい。ルーマニアで発行されている5レイ紙幣にエネスコの肖像が使用されている。中でも電気録音のバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲は演奏家や心あるレコード愛好家が絶賛したが数年でカタログから消えてしまいLPレコード最高のコレクター・アイテムになった。40年くらい前に都内の中古レコード店でエネスコのLPレコードが100万円で売られていた。

 

クララ•シューマン

クーレンカンプによるシューマン作曲の協奏曲を聴いていたらふとクララ•シューマンの本が頭を過ったので、もう一度読み直すことにした。クラーラ・シューマンは、ドイツのピアニスト、作曲家でピアノ教師19世紀に活躍した世界初めての女性ピアニストであり、また作曲家ロベルト・シューマンの妻として知られている。ドイツ通貨のシンボル100マルク札(日本で言えば一万円札)の肖像にクララを起用していました。シューマン作曲、「トロイメライ」。 1838年シューマン28歳の時に、婚約者だったピアニストのクララに贈った甘美な曲です。

夫ロベルトの死後、クララがそれまでも親交が深かったブラームスと恋愛関係になったという説が現代に至るまであるが、それを裏付けるものは全くない。クララの功績として大きいのは、暗譜を定着させたこと。もともと、ヨーロッパでは楽譜を読みながら演奏するのが一般的でしたがクララは譜面を事前に暗記し、何も見ずに演奏する現在の演奏会用序曲スタイルを好み、定着させていだそうです。

そこで紹介したい本があります。著者、萩谷由喜子さんがクララ生誕200年記念の年に出版した世界で初めてのワーキングマザーのピアニスト、クララ・シューマンである。実に読み応えのありクララ•シューマンのすべてを知ることができます。また、本の中で紹介されている曲が試聴できるQRコード付きです。

 

クーレンカンプ、シューマンのヴァイオリン協奏曲世界初録音

シューマンのヴァイオリン協奏曲ニ短調がシューマン死後83年偶然にも図書館から発見された。シューマンの生前、友人ヨアヒムの下で封印されていた同曲楽譜は、ヨアヒム没後の1907年にプロイセン国立図書館に寄贈されていたのだ。

1933年、ドイツでナチスが政権をとると、友人のフーベルマンとカール・フレッシュはユダヤ人であったためドイツを去った。ドイツ人のアドルフ・ブッシュもベルリンで活動していたフリッツ・クライスラー、ゴールドベルクもドイツを去り、ドイツに残ったのはクーレンカンプただ一人だった。ヒトラーの名によってドイツ国以外の初演を禁止させドイツ政府が1937年11月26日、クーレンカンプとカール・ベーム指揮ベルリン・フィルが世界初演を行うこととなった。 そして初演をラジオを通して全世界に放送した。

写真のベートーヴェンのクロイツェル・ソナタはピアノがケンプである。私は数多くのクロイツェルを聴いたが、この組み合わせの2楽章はとても素晴らしく感じました。

 

大コレクター山城氏

弟の息子の結婚式で沖縄に行った。

久し振りにあったら驚くほど成長していた。

もう一つ大きな目的があった。那覇市在住の山城氏に会う事でした。

山城氏は、医学写真研究所を経営していました。

驚いたのは、蓄音機80台くらい、SPレコード1万枚位、所有されてる方です。

大変なコレクターが、沖縄にいたなんてただビックリでした。沖縄出身の知人の紹介で出会い大変感謝しております。知人が沖縄に帰った時、山城氏から沖縄民謡10枚頂きそれを膝の上に置き飛行機で私の店に届けてくれました。

感謝の言葉も見つかりませんでした。

それから山城氏と沖縄FMの30分番組を2日分の収録を行いました。

蓄音機とSPレコードの特集でしたが、山城氏の偉大さを改めて確認致しました。

山城氏の凄いところは、高価な蓄音機を使いCDにSPレコードの音源を残した事です。なかなか出来る事ではありません。

それならばもしも失ったとしても悔いは残らないと思います。

これからも長いお付き合い宜しくお願い申し上げます。

熱海、冬のりんどう荘

 

2022年12月10日土曜日、ワイン会のご配慮で第2土曜日に変更してくれたので、初めて12月参加させていただきました。

心より感謝申し上げます。天気は晴天伊豆踊り子号の車内から富士山も綺麗な姿で見えました。ラッキーだったのは、踊り子号にラウンジがありました。以前は喫煙室だったようです。私達だけで使用出来たので車中での小宴会です。

サントリーの山本さんから2度と飲めないウイスキーを車中で仲間と乾杯最高のスタートでした。

りんどう荘ではいつもの宴会、カラオケ、夜の飲み会と楽しいひと時が過ごせ幸せでした。

又、来年夏皆様とりんどう荘で過ごせる日を楽しみに今年残り少ない営業に頑張ります。

皆様、良いお年をお迎えください。

復帰50周年に帰った沖縄

沖縄県が日本に復帰し、15日で50年を迎える。そんな年に沖縄に帰る事が出来て幸せだと思った。1972年に復帰後、豊かな自然に恵まれた沖縄はリゾート地として国内外の観光客を呼び込み、経済成長してきた。2000年には私の生まれ地、名護市で主要国首脳会議(サミット)が開かれ、本土復帰後初めての米大統領による沖縄訪問が実現したが辺野古問題など進展が見えないのは悲しい事です。

コロナの影響で閉店した店が目立つ国際通りそして平和通りゴールデンウィークと言うのに悲しかった。

偉大なる技術者



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山梨県にあるアンティーク工房ハイランド アンティークの大森氏にオルゴールの修理を依頼致しました。

私の所有するオルゴールは、ドイツポリフォン社のダブルコーム櫛76本×76本ですが、低音部分の鉛の腐食がひどくほとんど取れた状態でしたが、鉛の付け足しで完全な状態にそしてとても無理な調律までやって頂きました。新たな発見で一番高音の歯が途中で折れていたそうです。それも差し歯修理していただき私の手元に戻って来ました。慎重に櫛歯を取り付け聴いてみたらクィッ、クィッといった雑音が出ました。大森氏はダンパーの調整が必要と山梨県から車で神田の店まで来てくれました。

ダンパーの調整を始めましたがそれはそれは気が遠くなるような細かな作業でとても素人には出来ない技術だ。購入時からストッパーがだめでゼンマイがきれるまで演奏している状態でしたが、それも手の込んだ作業で直していただきました。

すべてが完了致し大森氏がゼンマイを巻きスタート涙の出るような美しい音色が再現でき聞き惚れていました。

博物館などを専門に修理をやられている技術者の大森氏にお願いできた事を心より感謝申し上げます。

 

「オルゴール修理の実技」大森裕武著の書籍が販売されております。マニア必見で手元に置きたい本です。

 

湧川哲行